アルファポリス恋愛小説大賞特別賞受賞作
等身大の女子高生の恋愛を描く本作は、ストーリーが明快で読みやすく、また、地方の雰囲気がとてもリアルに感じられる内容でした。しっかりした構成と文章力で、現在女子中高生を中心に幅広く読まれている「ケータイ小説」のジャンルに近いながらも、“読み物”としてのクオリティも十分に備えていると判断しました。ぜひアルファポリスで書籍化を検討してみたいと思い、特別賞受賞となりました。(選者談:編集部より)
作品のご紹介 : 今日は4月1日、エイプリルフールですので、予告どおり、嘘にちなんだイチオシの作品をご紹介させていただきます。この作品はアルファポリス恋愛小説大賞特別賞受賞作です。携帯小説がブームになって以来、ネットでは有名無名のさまざまな賞が設けられるようになりました。そんな中、今回大賞をとられた既にご紹介済みの
chocoさまの作品にも言えることですが、さすがネームバリューのある大きな賞を取られた作品は、やはり一味も二味も違うなあとしみじみ思いました。小説作品としてのレベルの高さは、もう編集部の方の書かれた通りでして、素人の私メなどが今更申しあげるまでもありません。最後まで一気に読みすすまずにはいられないほど、本当におもしろい作品でした。
作品のテーマとして作者さまは――「淫行の定義」の曖昧さと、個人の意思よりも尊重される親権者の判断を盛り込みつつ 「淫行」の一言で片付けられない恋愛の形を演出することによって、青少年保護育成条例の問題点を訴えかける。――と、サイト上で述べられております。作者さまがこの作品をかかれたのは、未成年の少女との交際が発覚して罪に問われた20代の青年、その新聞記事を読まれたことがきっかけだったとのことです。二人の交際期間は一年以上、明らかに恋愛関係にあると思われるのに、それでも淫行罪・・・?その作者さまの疑問がこの作品を描いた原点のご様子です。
青少年保護育成条例(通称淫行条例)に賛成の方も反対の方も、よくわからない方も、恋愛作品がお好きな方なら、この作品は文句なく楽しめると思います。社会的な問題をそのテーマとして描かれておられますが、この作品には不条理によって引き離され、引き裂かれようとする恋の切なさ、やりきれなさにあふれています。無慈悲な横槍が入る前、意地っ張りな二人が、すこしづつ心の距離を縮め、その恋を育ててくあたりは、それだけでじれじれやきもきを楽しめる恋愛作品として絶妙でしたし、直接的な描写はないものの、二人が結ばれるシーンは健やかで優しく、心が涙ぐむような情感がありました。そして、恋愛作品になくてはならぬ障害!なにしろ障害が大きければ大きいほど、恋愛作品はおもしろいのですから、この大きな社会的な障害はその存在だけでこの作品のおもしろさを保障しているようなものです。もちろん、それを読者にわかりやすく読みやすく伝えつつ、効果的、劇的にストーリーに組み込んだ作者さまの巧みさ、筆力、力量がおありだったからですが。
ヒロインは、今時の女子高生です。いかにもなギャル風なキャラは年をくった人間の常として苦手な私メでしたが、ヒロインは一見それ風でありながら、しっかりと中身のつまった真っ直ぐな人間として描かれておりまして、とても好感が持てました。強く、健やかで、明るい・・どこにでもいそうで、実は中々いない、そんな魅力的なヒロインを、作品を読まれた方はきっと応援したくなるに違いありません。お金持ちの御曹司でも学園の王子さまでもない普通の青年のヒーロー。けれども、彼もまた内面に柔らかでいながら真っ直ぐなものを持つ青年として描かれとても魅力的でした。リアリティのある人物描写は、仇役にも存分に発揮され、その憎らしいこと、いやらしいこと、そして物悲しいこと、もう最高でした(笑)。迫力のある仇役の存在は、本当に恋愛作品を盛り上げてくれるというお手本のような作品だと思います。
実は私がこの作品を知ったのは受賞なさる前、某他薦サイトで、熱烈推薦文に惹かれたからです。誰に頼まれたわけでもなく、読者として純粋にその面白さを未読の方に伝えたい、短い紹介文にはそんな推薦者の方の気持ちが現われておりました。そして、実際に拝読させていただくと、その方のお気持ちが本当によくわかりました。書籍化も検討されている作品です。その暁にはもうネットでの公開はなくなってしまうかもしれません。自由に読ませていただける今のうちに、まずはご一読をお薦めいたします。(うう・・・書き始めたのは1日でしたが、書き終わった今はもう2日。エイプリフールにはちょっと遅れましたがお許しくださいませ~)

以下はこの作品を拝読して淫行条例について考えたあれこれです。作品のテーマに関連しているとはいえ、ご紹介とは赴きが異なるので別記に致しました。ご興味のある方だけお読みくださいませ。

聊か違う角度からではありますが、実は私メも作者さまと似たような疑問を抱いたことがあります。私メは海外ドラマが昔から好きなのですが、以前見た海外ドラマでとても不思議に思ったシーンがあります。ティーンエイジャーの女の子が背伸びをして、大人のパーティーに紛れ込み、そこで出会った大人の男性(といっても20代前半)とデートをします。(設定がこの作品と似ていますね)頭もよく、大人びていた彼女は無理して話をあわせずとも彼と意気投合し、これなら本当の自分の年を知ってもつきあえるのではないかと思い、レストランでのディナーで真実を打ち明けます。ところが、それを聞いた彼は、今の今まで彼女を真剣に口説いていたにもかかわらず真っ青になって立ち上がり、突然帰ると言い出すのです。驚き、慌てた彼女がなんとか引きとめようとするのですが、彼は残念そうに、けれどもきっぱりと、「僕は犯罪者になりたくないから、君とはつきあえない」と、彼女に宣言するのです。
日本で淫行に関する条例が施行される何年も前の話です。ドラマを見ていた私も、作中の彼女と同じ様な疑問を抱き、なんだって、年が1,2才足りないだけで、こうなるわけ?と不思議でなりませんでした。なにしろ、そのドラマのティーンエイジャーたちは、自由すぎるくらい自由に奔放に青春と恋とセックスを謳歌したハイスクールライフをおくっていて、それに対して周囲の大人は何も言わないのに、なんだって相手が大人になるとこうなるわけと、あの時の私には到底理解できず、ちょっとしたカルチャーショックでした。
そして、この作品のヒロインも、その時の私と同じ疑問を持つことになります。それは作者さまの疑問でもあるのでしょう。しかし、今現在、未成年の娘を持つ母親になった私は、もうそれに疑問を持ちません。ある種の不条理があることは充分理解していても、その不条理を補うに足る恩恵がそこにはあると思っているからです。
男女の交際、恋愛にはセックスが必ずある。未成年者と交際(セックス)するのは犯罪である。よって、良識ある大人は未成年者とは決してつきあわない。未成年者と知りながらつきあうということはその人間が良識ある大人とはいえず、犯罪者である疑いがある。極端な三段論法ですが、その認識が浸透している(アメリカ)社会では、それが結果的に未成年者に近づこうとする犯罪者への抑止力になっているのも事実でしょう。今にして思えば、あのドラマではそういう社会通念が背景にあったに違いなく、だからこそドラマの中では、未成年者とつきあい、犯罪者と疑われるリスクを負うくらいなら、芽生えかけた恋心を捨てる判断をした青年は、意気地なしと貶められることもなく、むしろ良識ある大人として描かれていました。
日本で淫行条例が施行されてまだ日も浅く、法には定められつつあるものの、社会や一般市民はそれについての共通認識をまだもっていないように思えます。なにしろ淫行と、それにはあたらないとされる、―婚約中およびそれに準ずる真摯な交際―との線引き自体が非常に曖昧で不確か。名実ともに18歳で大人と認められ、それと同時にその責任を担うことを求められる欧米社会とは違い、成人の線引きや認識もまた曖昧で甘い今の日本では、未成年者との交際や恋愛をタブー視する方が難しいかもしれません。
とは言え、思春期の娘という危なっかしい生き物を家族に持つ人間は、どれほどリベラルで有りたいと思っていても、ある部分どうしても保守的にならざるをえません。そこに幾ばくかの不条理があったとしても、それによってある種の危険から娘を守れるのであれば、私は母親として安全を優先してその不条理にも目をつぶるでしょう。でも、もしも万一、娘に大人の恋人ができたら、私、ど、どうしよう・・・?娘が中学生であれば問答無用に相手を遠ざけると思うけれど、それが高校生の時ならば・・・・うーん、わからない!未成年者と成人は対等ではありえないと思うので、たとえ真剣な交際であったとしても、なんとなくアンフェアな気がしてそう簡単には認められないだろうなとは思います。ただでさえ危なっかしい思春期、そういう危なっかしい恋愛はなるべくしてほしくないので、大人の男性は娘には近づいて欲しくない・・・というのが母親としての本音です。だからこそ現行のままでは問題があるとは言え、それでも規制がないよりはあったほうがよいと私メは思っております。
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