一万ヒット御礼企画 中 世 炎 上
瀬戸内 晴美 著
STORY:
中世、鎌倉時代。突然の内裏の火事。燃え広がろうとする炎の中から「おんかたわ」と人に噂され、立つことも話すこともできなかった幼くも貴い主を助け出す一人の若い女房。火事の後ようやく立ち喋ることができるようになった主に、彼女は乳母のように献身的に仕え、元服の折には新枕の役も勤めるが、正妃の入内を機にその元を辞す。女房はやがて、他の男の妻となり、ひとり娘を設けるが若くしてこの世を去る。
譲位を余儀なくされ鬱々とした日々を送っていた主が、かっての恋人の忘れ形見を、ぜひにと願って手元に引き取ったのは彼が19歳、娘がわずか4歳の時だった。
権力者である主の庇護の元、彼を父とも兄とも慕って過ごした無邪気な子ども時代は、娘が14才のある夜、唐突に終わりを告げる。寝所に忍んできた主は、怯える娘をかき抱き、自らを光源氏、娘を紫の上になぞらえてきた積年の思いをぶつけ、我が物にしようとする。驚き絶望する娘。たしかに彼女の境遇は源氏物語のそれに似ていたが、紫の上よりはるかに大人びていた娘の心には、既に相愛の恋人がいたのだ。
院と呼ばれる主は、皇統が二つに分かれる因ともなった持明院派の祖、後深草院。
後深草院の寵愛篤く、それゆえに、そのエゴイスティックで屈折した愛情に翻弄される人生を送ることになる娘の名は二条。
二条と院、彼女をめぐる多くの男性との奔放な愛欲に彩られた日々は、後年、中世女流文学の異色の書、「とはずがたり」として、世に残ることになる。
時代の覇権が武士の手に移って久しく、朝廷に生きる人々に、それを奪い返すほどの気概も力もなかった時代。実権を持たない彼らの鬱屈したエネルギーは、内へ内へと篭ってゆく。源氏物語の栄華の日々から既に300年が経とうとしていたが、彼らの精神文化や価値観は、いまだに、否、だからこそ、もののあわれをそのよすがとしていた。地に落ちた実が爛熟した香りを周囲に漂わせながら腐っていくように、栄華の残滓を苗床として咲いた仇花のような艶美な愛と官能の物語。
INTRODUCTION:
ロマンとエロスを併せ持つ、出版された作品のご紹介・・・・として、一番に思い浮かんだのがこの作品です。読んだのはもう随分昔。(10年くらい前じゃあないかと思います。)にも関わらず、その強烈な印象と衝撃は今でも覚えています。
出家前の作者は、一貫して「女の業」を描いてきた人でした。スキャンダルに彩られたその奔放な私生活も、またそれを赤裸々に書き綴った私小説のような作品も常に物議をかもしてきました。作者もその作品の評判も、過去のものとは言えあまりにも強烈過ぎて、ただでさえ私小説が苦手な私は、それら一連の作品を楽しめるとは思えず、とても読む気になれませんでした。但し、舞台を過去に移した歴史物は別です。我ながら現金だとは思うのですが、過去を舞台とする限り、作者がどのように生々しく女の業を描こうが、どのように自身を投影させようが、それはあくまでフィクション、一種のファンタジーとして楽しむことができるのです。数百年の時の流れは、強烈すぎる作者の個性をちょうどいい具合にオブラートにくるんでくれたようで、その世界は充分に魅力的でした。
しかし、正直に申しあげて、私は、この作品に登場するどのキャラにも、ほとんど好感を持てずにいます。ヒロインである二条にしろ、こういう流されキャラ、よろめきキャラにはとても共感などできません。二条のメインのお相手である院なども、はっきり言って、もう蹴飛ばしたくなるくらい嫌な男だと思います。そう感じる自分の感覚は、無粋ではあっても健全であり、現代に生きる女性としては一般的なものではないかと思います。(幸か不幸かヒロインに自分を投影できるような非凡な恋愛経験は私メにはございませんので。)しかし、それでも、この物語はおもしろいのです。
無垢であった二条が、院との肉体関係を持った後の、大人の女性としての開花。その官能的な艶やかさとしたたかさは眼を見張ります。紫の上と同じ様に自分を育てた男に体を奪われその寵を受けても、所詮二条はその男の傍近くで仕える女房の一人にしかすぎません。紫の上のように、他の男の目には決して触れぬようにと、たった一人の男に大切に守られる立場にはないのです。院の寵愛を受けた後も、その美貌と才知を多くの男たちに褒めそやされ、それを誇りとしながら御所での勤めを続ける二条。ある時は自ら進んで、ある時は魅力的な彼女への恋情抑えがたい男により強引に、またある時は院の命により泣く泣く、二条は男たちと関係をもっていきます。
そういう彼女を自堕落と決め付けるのは、この時代背景を思えばナンセンスでしかありませんが、あまりにも流されやすい二条は、初めて読んだ時も、決して好きになれなかったヒロインです。けれども、だからこそ彼女が、男性にとっては理想的な恋人、情人であったことが、年を重ねた今ならばわかります。美しく才があるというだけではなく、その心情性質がです。
強く求められれば拒めない。意に染まぬ関係でも、一度肌を許してしまえば、情がわいて相手を憎むことができず、その後も相手に引きずられてしまう。そんな二条の情が深くほだされやすい性質は、色事に慣れた宮廷の男たちの目には透けて見えたに違いありません。衰えた朝廷の退位した院とはいえ、その寵愛を受ける二条に並大抵の男は手出しができませんが、院を憚る必要のない力や情熱をもった好色な男たちにとっては、これほど口説きやすく落しやすい魅力的な女性はいなかったかもしれません。
肉体的な関係だけではありません。男の心の機微を読むのに長け、相手が聞きたくないと思ったことは口にせず、反論がある時は黙して聞き役に徹する。つれない仕打ちをされ、恨めしく思っても、面と向かって責めることはしない。奥ゆかしい彼女の態度に相手が罪悪感を持ち始めたところで、いじらしくその辛さを控えめに訴える。つまり、彼女は男性が苦手とする、頑なさやヒステリックさ嫉妬といった女の棘を内面に抱えてはいても、それをほとんど感じさせないのです。男性にとって、これほど居心地のいい女性もいないでしょう。
男の無理難題に対しても、涙を流して抗っても、最後にはその意に従ってしまう。院は彼女を他の男に抱かせるだけではなく、彼女に他の女性との仲立ちまでさせるのです。これだけ聞くとまるで二条は横暴な院の哀れな犠牲者のように思えますが、一概にそうとも言えないのです。唯々諾々と従うのではなく、あくまで自身の気持ちには反することを、他でもない院の命令であるからこそ諦めて許すのだということを、二条は院が不快に感じない程度に知らしめる事を忘れません。そこに二条の計算があったかどうかはわかりませんが、男のプライドをくすぐられた院が一層の優越感と満足感を抱いた事も、また彼女への執着の絆を強くさせたことも想像に難くなく、さりげなく責任転嫁するあたりも見事としか言えません。
女性の読者としては、二条のそんな態度こそが男たちを図に乗らせ、勘違いさせるのだと、読んでいて何度も、歯がゆい思いをするのですが、だからこそ物語は盛り上がってゆくのです。物語に引き込まれた読者は途中で止めることなどできないでしょう。ヒロインに好感を持とうが、持たなかろうが、彼女の波乱万丈な恋愛物語は文句なくおもしろいです。
情事の場面はもちろんですが、柔らかで艶美な文体で紡がれたこの物語は、全編に、悩ましく秘めやかな官能的な雰囲気が漂っています。それは終盤になり、二条が出家した後も続きます。
原典があり、それに忠実である部分もあれど、かなりの脚色を加えていること。また、出家以前の作者の私生活があまりにも醜聞にまみれていたこと。そして、作者自身が二条の人生をなぞるように俗世を離れて出家したこと。そうした要因は今も、この作品に対する評価を複雑にしています。しかし、どのように評価されようが、この物語が大人の女性のエロチシズムとロマンチシズムを充分に満足させてくれる物語であることだけは確かです。
中世炎上 (新潮文庫)
著 者:瀬戸内 晴美
出版社:新潮社
出版日:2000 ¥ 740
中世炎上 (1973年)
著 者:瀬戸内 晴美
出版社:朝日新聞社
出版日:1973 ¥ 893

院と呼ばれる主は、皇統が二つに分かれる因ともなった持明院派の祖、後深草院。
後深草院の寵愛篤く、それゆえに、そのエゴイスティックで屈折した愛情に翻弄される人生を送ることになる娘の名は二条。
二条と院、彼女をめぐる多くの男性との奔放な愛欲に彩られた日々は、後年、中世女流文学の異色の書、「とはずがたり」として、世に残ることになる。
時代の覇権が武士の手に移って久しく、朝廷に生きる人々に、それを奪い返すほどの気概も力もなかった時代。実権を持たない彼らの鬱屈したエネルギーは、内へ内へと篭ってゆく。源氏物語の栄華の日々から既に300年が経とうとしていたが、彼らの精神文化や価値観は、いまだに、否、だからこそ、もののあわれをそのよすがとしていた。地に落ちた実が爛熟した香りを周囲に漂わせながら腐っていくように、栄華の残滓を苗床として咲いた仇花のような艶美な愛と官能の物語。
INTRODUCTION:
ロマンとエロスを併せ持つ、出版された作品のご紹介・・・・として、一番に思い浮かんだのがこの作品です。読んだのはもう随分昔。(10年くらい前じゃあないかと思います。)にも関わらず、その強烈な印象と衝撃は今でも覚えています。
出家前の作者は、一貫して「女の業」を描いてきた人でした。スキャンダルに彩られたその奔放な私生活も、またそれを赤裸々に書き綴った私小説のような作品も常に物議をかもしてきました。作者もその作品の評判も、過去のものとは言えあまりにも強烈過ぎて、ただでさえ私小説が苦手な私は、それら一連の作品を楽しめるとは思えず、とても読む気になれませんでした。但し、舞台を過去に移した歴史物は別です。我ながら現金だとは思うのですが、過去を舞台とする限り、作者がどのように生々しく女の業を描こうが、どのように自身を投影させようが、それはあくまでフィクション、一種のファンタジーとして楽しむことができるのです。数百年の時の流れは、強烈すぎる作者の個性をちょうどいい具合にオブラートにくるんでくれたようで、その世界は充分に魅力的でした。
しかし、正直に申しあげて、私は、この作品に登場するどのキャラにも、ほとんど好感を持てずにいます。ヒロインである二条にしろ、こういう流されキャラ、よろめきキャラにはとても共感などできません。二条のメインのお相手である院なども、はっきり言って、もう蹴飛ばしたくなるくらい嫌な男だと思います。そう感じる自分の感覚は、無粋ではあっても健全であり、現代に生きる女性としては一般的なものではないかと思います。(幸か不幸かヒロインに自分を投影できるような非凡な恋愛経験は私メにはございませんので。)しかし、それでも、この物語はおもしろいのです。
無垢であった二条が、院との肉体関係を持った後の、大人の女性としての開花。その官能的な艶やかさとしたたかさは眼を見張ります。紫の上と同じ様に自分を育てた男に体を奪われその寵を受けても、所詮二条はその男の傍近くで仕える女房の一人にしかすぎません。紫の上のように、他の男の目には決して触れぬようにと、たった一人の男に大切に守られる立場にはないのです。院の寵愛を受けた後も、その美貌と才知を多くの男たちに褒めそやされ、それを誇りとしながら御所での勤めを続ける二条。ある時は自ら進んで、ある時は魅力的な彼女への恋情抑えがたい男により強引に、またある時は院の命により泣く泣く、二条は男たちと関係をもっていきます。
そういう彼女を自堕落と決め付けるのは、この時代背景を思えばナンセンスでしかありませんが、あまりにも流されやすい二条は、初めて読んだ時も、決して好きになれなかったヒロインです。けれども、だからこそ彼女が、男性にとっては理想的な恋人、情人であったことが、年を重ねた今ならばわかります。美しく才があるというだけではなく、その心情性質がです。
強く求められれば拒めない。意に染まぬ関係でも、一度肌を許してしまえば、情がわいて相手を憎むことができず、その後も相手に引きずられてしまう。そんな二条の情が深くほだされやすい性質は、色事に慣れた宮廷の男たちの目には透けて見えたに違いありません。衰えた朝廷の退位した院とはいえ、その寵愛を受ける二条に並大抵の男は手出しができませんが、院を憚る必要のない力や情熱をもった好色な男たちにとっては、これほど口説きやすく落しやすい魅力的な女性はいなかったかもしれません。
肉体的な関係だけではありません。男の心の機微を読むのに長け、相手が聞きたくないと思ったことは口にせず、反論がある時は黙して聞き役に徹する。つれない仕打ちをされ、恨めしく思っても、面と向かって責めることはしない。奥ゆかしい彼女の態度に相手が罪悪感を持ち始めたところで、いじらしくその辛さを控えめに訴える。つまり、彼女は男性が苦手とする、頑なさやヒステリックさ嫉妬といった女の棘を内面に抱えてはいても、それをほとんど感じさせないのです。男性にとって、これほど居心地のいい女性もいないでしょう。
男の無理難題に対しても、涙を流して抗っても、最後にはその意に従ってしまう。院は彼女を他の男に抱かせるだけではなく、彼女に他の女性との仲立ちまでさせるのです。これだけ聞くとまるで二条は横暴な院の哀れな犠牲者のように思えますが、一概にそうとも言えないのです。唯々諾々と従うのではなく、あくまで自身の気持ちには反することを、他でもない院の命令であるからこそ諦めて許すのだということを、二条は院が不快に感じない程度に知らしめる事を忘れません。そこに二条の計算があったかどうかはわかりませんが、男のプライドをくすぐられた院が一層の優越感と満足感を抱いた事も、また彼女への執着の絆を強くさせたことも想像に難くなく、さりげなく責任転嫁するあたりも見事としか言えません。
女性の読者としては、二条のそんな態度こそが男たちを図に乗らせ、勘違いさせるのだと、読んでいて何度も、歯がゆい思いをするのですが、だからこそ物語は盛り上がってゆくのです。物語に引き込まれた読者は途中で止めることなどできないでしょう。ヒロインに好感を持とうが、持たなかろうが、彼女の波乱万丈な恋愛物語は文句なくおもしろいです。
情事の場面はもちろんですが、柔らかで艶美な文体で紡がれたこの物語は、全編に、悩ましく秘めやかな官能的な雰囲気が漂っています。それは終盤になり、二条が出家した後も続きます。
原典があり、それに忠実である部分もあれど、かなりの脚色を加えていること。また、出家以前の作者の私生活があまりにも醜聞にまみれていたこと。そして、作者自身が二条の人生をなぞるように俗世を離れて出家したこと。そうした要因は今も、この作品に対する評価を複雑にしています。しかし、どのように評価されようが、この物語が大人の女性のエロチシズムとロマンチシズムを充分に満足させてくれる物語であることだけは確かです。
中世炎上 (新潮文庫)
著 者:瀬戸内 晴美
出版社:新潮社
出版日:2000 ¥ 740
中世炎上 (1973年)
著 者:瀬戸内 晴美
出版社:朝日新聞社
出版日:1973 ¥ 893
